3のカードの概要
小アルカナの3のカードは第三セフィラのビナーに対応します。
ビナーは「理解」をあらわします。ここでいう理解とはどういうことでしょうか?
レヴィは以下のように説明しています。
完璧な言は、三つ組で成り立っている。聡明な原理、語りかける原理、そして語られる原理、この三つがそろってはじめて完璧な言葉となるからだ。(中略)
神は、この世を創造するにあたって、己自身に対して己自身のことを語りかけたわけである。
これが三つ組のいわれ「三位一体」協議の期限である。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」教理篇より
ケテルによって創造され、コクマーによって認識された言は、「三つ組」で完成するとはどういうことでしょうか。また、聡明な原理、語りかける原理、語られる原理とはどういうことでしょうか?
ヴァルター・ベンヤミンは旧約聖書での神の創造について以下のように述べています。
自然の創造(『創世記』第1章に拠る)が行われるリズムが存在していて、それは、<在れー神は造られたー神は名付けられた>のリズムである。(中略)創造行為のはじめとおわりにある、この「在れ」と「神は名付けられた」のなかに、そのたびごとに、言語に対する創造行為の深い明確な関係が現れ出る。創造行為は言語の全能の創造力を開始し、最後に言語は創造されたものをいわば自身に同化する、つまりそれを名付ける。したがって、言語は創造するものであり、かつ完成するものである。言語は、言葉にして名なのである。名は言葉であるがゆえに、神のうちにおいて名は創造する力をもち、神の言葉は名であるがゆえに、この言は認識する力をもっている。「神はそれを見て、良しとされた。」と、それはつまり、神がそれを名を通して認識した、ということである。
ちくま学芸文庫 ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション1 近代の意味」言語一般および人間の言語について より
ベンヤミンは神の創造について
という3つのステップを想定しています。そして「言語は創造するものであり、かつ完成するものである。言語は言葉にして名なのである」と述べています。つまり、言語による創造は名付けられることによって完成することを示唆しています。また、ベンヤミンは次のようにも述べています。
人間は神が創造者として発した言語を、まさにその言語こそを認識する者なのである。神はみずからのかたちに、人間を創造した。つまり、神は創造する者のかたちに、認識するものを創造した。それゆえ、人間の精神的本質は言語である。という命題は説明を必要とすることになる。人間の精神的本質とは、創造の媒質となった言葉なのだ。
ちくま学芸文庫 ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション1 近代の意味」言語一般および人間の言語について より
聖書の中で、人間は「神の姿似」として神に創造され、そして神の息吹を吹き込まれた存在です。そして人間は神の創造したものに「名付け」をする存在として造られています。ここでもやはり神の創造は、
という3段階を経て完成すると考えられています。
つまり、レヴィのいっている
「完璧な言は、三つ組で成り立っている。聡明な原理、語りかける原理、そして語られる原理、この三つがそろってはじめて完璧な言葉となるからだ」というのは
というものがそろって根源である言は完璧となるといいかえているのではないでしょうか。
そのため、各スートの3のカードはそのスートが深く理解されたときにおこることが表現されています。
個人的にはエースのカードと3のカードをセットで理解することで各スートの性質がより理解しやすくなるのではないかとおもいます。
各スートの2について
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