第16話:タロットカードの意味をしろう! 12 吊るされた男
- 吊るされた男のカードの構図、モチーフを理解しよう
- 鑑定で吊るされた男が出てきたときの意味をしろう!
16-1 吊るされた男ってどんなカード?

ぼく、怖い漫画でこのカードでてきたのみたことあるよ

初めてこれをみた人は結構、このカードが悪いことして罰せられてるカードに見えるみたいだね





足を変な形に組んでるね。
ウェイト版はなんかオーラみたいなのまででてる

今はこのカードを「処刑」とか「犠牲」ではなく
「修行中」って解釈するのが普通だね

罰を受けてるんじゃなくて、自分から進んでこのポーズになってるんだね。
でもなんのためにそんなことしてるの?

ウェイトは
「自分より高い本質の物語がこのシンボリズムの中に組み込まれていることを理解できるものは
可能な大いなる目覚めに関する暗示を受け取るであろう」
っていってるね


あともう一つきになるのが、このカードが死神の前に置かれたカードだってことなんだ


っていうのは
カトリックの聖フランシスコの祈りだけど、
悟りや、超越者と一体化するためには、一度「自己の死」を経験しなければいけないっていう考え方は割と普通なんだよ。
仏教でも「出家」って、俗世での自分を捨てて仏門にはいるってことでしょ?
そんなかんじで、これまでの自分をアップデートするためには「死」に近づくことも必要なんだよ。
ウェイトも、このカードに対して
「神聖なる死の秘密の後に、栄光に満ちた復活の秘儀があることを知るであろう。」
って書いてるしね


きっと目的を達成するだろうからね。
このカードが出てきたときは、修練や修行のタイミングだと思うといいと思うよ
16-1 吊るされた男ってどんなカード?
16-1−1 カードの説明
一人の男が逆さまに吊るされている絵です。
マルセイユ版とウェイト版では、男のポーズが鏡像になっており、また、マルセイユ版では2本の木の間に男は吊るされているのに対して、ウェイト版ではT字に組まれた木に沿って吊るされています。
マルセイユ版では「力」と「死神」の間に来るカードでしたが、ウェイト版では「正義」と「死神」の間に改められました。
古いカードでは、彼はユダとみなされることもあることから、「正義」と「死」の間に持ってこられたこのカードは何かの罰を受けている姿だと捉えらえることもできるかもしれません。
しかし、男の表情は穏やかで、ウェイト版では後光のようなものが描かれています。なぜ、彼はこのような穏やかな表情をしているのでしょうか。
北欧神話のオーディンは、叡智を得るために、片目を失い、ルーン文字の解読方法を得るためにユグドラシルにグングニルに貫かれたまま9日間吊るされました。被害者意識からこの状態を読み取ってしまうと、「やむなく」世界樹に体を吊るし、貧乏くじを引いたということになるでしょう。しかし、「この方法をやれば目的が達成できる!」と信じている者にとっては、それは「犠牲」ではなく、単なる通過儀礼にすぎませんん。
このカードは、「決意」「判断」の「正義」の次に来ています。吊るされた男は、自らの進む道を決め、そしてそれに全身全霊で持って身を投じている姿なのです。何かを誰かからもらうことばかりを追い求める人は、自分が何かのコストを払うことを「犠牲」であると感じます。しかし、自分の決めた道に身を投じることは、自分の命の炎を輝かせることであり、最高善を求め続ける魂にとっての最高の幸福です。
「犠牲」というフィルターを取り払い、「奉仕」の中に生きることを吊るされた男は教えてくれています。
16-1-2 正位置での解釈
コスパという言葉が頻用されるようになって久しいですが、費用を拡大解釈して、時間や手間など金銭的コスト以外を考慮に入れると、「簡単に〜」や、「3日でわかる〜」といった、「コスパ」のいい方法論を提案する書籍やウェブサイトは山積しています。
もちろん、無理に問題を難しくしたり、「苦労してないやつはどこかで失敗するんだ!」といた、恨みがましい解釈をしたりする必要はないでしょう。しかし、「何が何でも絶対に損をしたくない!」「一番楽な方法がわかるまではやらない!」という自分がそれに賭けることを忌避しすぎる姿勢は、あなたを本当の命の喜びから、遠ざけるかもしれません。
吊るされた男は非常に穏やかな表情をしています。
彼が体現しているのは、積極よりも受動の姿勢、自らの任を心から受け入れて、それに全霊をもって、しかも誰に鼓舞することもなく、ただ身を投じる奉仕の姿勢です。
魂は最高善を求める本質を持っていると、ギリシャの哲学者たちは定義しました。
自らの目的に奉仕することの穏やかな悦びをしらない人は、彼の行為は途方もない我慢か、愚行にみえるでしょう。しかし、我を忘れるぐらい何かに打ち込んでいたとき、振り返れば、そのときあなたは幸せを感じていたのではないでしょうか。
繰り返しますが吊るされた男があなたに伝えたいのは、我慢や忍耐の美徳ではありません。奉仕による高いレベルでの学び、人が人の枠組みを超えていく学びの世界にあなたを招待しています。
16-1-3 逆位置での解釈
「謙遜」・「忍耐」・「同調」。これらは一般的に日本では美徳とされる行為です。
「自分に厳しく、他人に優しくしなさい」と、子供の頃から言い聞かされてきた人も多いのではないでしょうか。
実際に、これは日本人の優れた点であるところは間違いありません。
震災などの非常時の時の譲り合いの姿、世界で一番規則正しく運行する公共交通機関など、その恩恵ははかり知れません。
しかし、その一方で「神様」よりも「世間様」を無条件に信じ、生きづらさを感じている人も多いのではないでしょうか。
自分の望まないことでも、「普通みんなそうするから」「やらないと他の人に迷惑をかけるから」我慢してやる。
本当はそう思ってなくても、「いい子だと思われていたいから」「叱られるのが怖いから」望まない関係や振る舞いを続ける。
もちろん、全員が自分の意のままに行動することはできないかもしれません。また、成功を納めている人たちが、弛まぬ努力を重ねていることも真実でしょう。
逆位置の吊るされた男は、あなたの「頑張り」が過剰適応になっていないか、警告しています。
あなたが、必要以上に頑張りすぎることで、ひょっとしたら、一番大事なあなたの心を無視したり、他の人の成長のチャンスを奪っているかもしれません。
頑張ることは素晴らしいことです。しかし、頑張らないといけない理由はどこにもありませんし、あなたが苦しんだり辛い思いをすることで幸せになる人は一人もいないのです。(もし、あなたが苦しむことや、「自分と同じぐらい」しんどい目に遭っていないと嫉妬したり、嫌な感じの空気を出してくる人がいるとしても、あなたはそんな人のためにあなたを晒す必要はありません。)
過剰な犠牲に身を晒していないか、内省してみましょう。
16-2 占いで吊るされた男が出てきたとき受け取れるメッセージ
16-2-1 一般的なメッセージ
正位置
おそれず、試練を受け入れましょう。
あなたはひょっとしたらこれから起こりうることや、迎える未来に漠然とした不安を感じているかもしれません。自分はこれから待ち受けていることを乗り越えられるだろうか。自分の先行きに困難が来ないでほしい。困難な道は歩きたくない。そんな思いを抱えているかもしれません。しかし、起こることを心配して抵抗して怯えず、ただ淡々と受け入れれば、あなたは進みたい道に進むことができます。
我慢ではありません。根性でもありません。もっとフラットに、ただ、あなたの道を進みましょう。
この経験はいつの間にか、あなたを次のステージへと連れて行ってくれるはずです。
逆位置
過剰適応になっていないか見直してみましょう。
「努力すること」「我慢すること」「歯を食いしばって耐えること」
私たちは子供の頃から、こういったことが美徳であり、とても大切なことだと教えられてきました。
実際、あなたは今まで努力したり我慢したりすることで手に入れてきたものもあるはずです。
しかし、いつしか、「頑張っている状態であること」「他の人よりも忍耐を重ねていること」を美しいことだと勘違いしていないか、このカードは警告しています。
きつい物言いかもしれませんが、あなたの本当にやりたいことが、なかなか実現できないことなどを理由に、とりあえずやれることに対して「頑張った感」「我慢してる感」「いい人である感」を出すことに腐心しすぎていないか、内省してみる必要があるかもしれません。
現生人類が約十四万年前に登場してから、「定住」生活を送っているのは、わずか一万年あまりに過ぎません。私たちは「退屈」を感じるくらいであれば、たとえ自分が犠牲になってでも「何かやってる感」を求めてしまうようにできています。
「頑張った感」「我慢してる感」「何かやってる感」を出すことに躍起になってはいけないことをカードは教えてくれています。
16-2-2 恋愛でのメッセージ
正位置
自分の心の望みに身をゆだねましょう。
あなたの恋愛に関する悩みは、ほかならぬ、あなた自身がもたらしたものではありませんか?
これは、あなたの非を責めているわけではありません。
例え、相手がどれほどあなたにとって理不尽に思える行為や釣れない態度を取っているとしても、それに対して反応しているのは、ほかならないあなたの心です。
あなたが恋愛の事を考えながらカードを引いたのは、きっと恋愛に関する悩みや気にかかることがあるからでしょう。
しかし、結局のところ、どんな恋愛であっても、あなたがあなたをどうするのか、問われ続けていることなのです。
吊るされた男はまっすぐに、深みに頭を突っ込んでいます。
困難そのものに意識を置くのではなく、困難な状況であっても、「あなたが何を望むのか」の本質に投錨しましょう。
あなたの本当の目的は、あなたが幸せであることではないでしょうか?そしてそれは、あなた自身があなたにいますぐ貢献できることなのではないでしょうか。
逆位置
あなたの愛、「重たく」なってませんか?
「お料理が上手な女の子が好き」「優しくて誠実な男の人が好き」そういう風に言う人は多いかもしれません。
しかし、まっとうな人ならば、相手が自分を過剰に犠牲にすることなんて望まないのです。
「お弁当を作ってあげる」「いつでも駆けつけてあげる」といった、何かをすることであっても
「負担にならないように、連絡の頻度を減らしてあげる」「重たくならないように、さりげない、返信を求めないメッセージを送ってあげる」「会いたいっていう回数を減らしてあげる」といった、何かをしないことであっても、
「あなたのために私が犠牲になってあげる。」という行為は、裏に「だから、あなたが誠意のある人なら、私の愛にちゃんと答えてね」という真綿で首を絞めるような重さが匂ってしまうので、あなたがどれほど良心的に振る舞ったとしても、「重たく」て、「面倒くさい」と感じられてしまう愛なのです。
相手への愛が執着に変わらないように、まずはあなたがあなたをもっと大切にしてみましょう。
16-2-3 仕事でのメッセージ
正位置
「犠牲」ではなく「奉仕」の姿勢で臨みましょう。
ワークライフバランスが叫ばれて久しく、また、労働環境の劣悪さが問題に成っている職場、職種も多々あります。
あなたがカードを引こうと思った原因も、労働環境や仕事の内容への不満が根底にあるのではないでしょうか。
基本的に、「何かをさせられている」状態を人は嫌います。
「我慢」「忍耐」をいくら美徳とされても、やはり本質的にはそれは窮屈なことです。
ですが、それと同時に人は自分が世界や社会に貢献したい願望も持っています。
「何のために生まれて 何のために生きるのか わからないまま終わる そんなのは嫌だ」
というアンパンマンのテーマの2番の歌詞が大人になると胸に突き刺さるのは、自我を持ち、他の人と違う「この私」である私たちが、自分の心から望むものに貢献したい、誰かから感謝されたいと言った抗いがたい願望を持っているからです。
「誰か」に言われて、「世間」の目を気にして「我慢」するのではなく、「あなたが」進んで、「あなたの心の声」に導かれるまま、あなたの仕事や、あなたの目的に「奉仕」しましょう。あなたが命を輝かせる時、世界もキラキラ光輝き始めるはずです。そして、それは、自分の目的に奉仕することを選んだ「吊るされた男」だけが知っている光なのです。
逆位置
ギブアンドテイクを求めすぎる、「さもしい」マインドになってしまっていませんか?
「こんなに頑張ったのに!」「あいつは楽してずるい!」
ひょっとしたらあなたはあなたの努力に対する周囲の評価が正当ではないことに憤っているかもしれません。
しかし、会社や仕事は、あなたの「気持ち」に寄り添うものでは本質的にありません。
あなたが「頑張っている」ことが、あなたの仕事の成功の免罪符には根本的になりえません。
もちろん、不当な扱いを受けることはよくありませんが、
「こんなに頑張ったんだから報いて欲しい!」と、ご褒美だけを求める「さもしい」働き方は、実は、あなたに仕事そのものの喜びを見せなくなってしまいます。
カード全体の説明でみましたが、私たちが「働く」のは、お金などの報酬だけが目的ではなく、自分の魂の目的に対して奉仕し、そして、世界や社会の役に立ちたいという根本的な願望があるからです。
「働かされている」奴隷のマインドではなく、「世界に自分の力で貢献する」自由人のマインドで仕事や、あなたの周囲の人々と、向き合ってみましょう。それが、あなたの周り全員を幸せにする「仕事」「働き方」につながるはずです。
前のお話
16-2 占いで吊るされた男が出てきたときに受け取れるメッセージ