第34話:小アルカナを学ぼう その8 8のカード
各カードの8のカードの意味を理解しよう
34 8のカードを学ぼう









なんかどのカードもあんまりしっくりこないね。いつものエなんとかさんってどう説明してるの?

原因は結果を通して現われ、結果は原因とつりあう。「神の言」、「唯一無二の言葉」、「聖四文字」も四組の創造によって確認されたのである。人間の生殖力は神の生殖力の証明である。神の名「イォド」とは「第一原理」に備わって不滅の精力である。己れの姿を無限に拡大することによって「神」なるものを理解したとき、人間は自分が「神」の姿になぞって作られたものであることを理解したのである。
「神」を無限大の人間と理解したとき、人間は自分に向かってこう言ったのである。私は有限の「神」であると。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理編ー


でもこの部分だけでも8についてのヒントはでてきてる。
ポイントは「神」になぞって作られた、ってところだねえ。


神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(中略)主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。
新共同訳聖書 創世記1章、2章より抜粋

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
新共同訳聖書 創世記1章より抜粋

「神は名付けられた」のなかに、そのたびごとに、言語に対する創造行為の深い明確な関係が現れ出る。創造行為は言語の創造力を開始し、最後に、言語は創造されたものをいわば自身に同化する、つまりそれを名付ける。したがって、言語は創造するものであり、かつ感性するものである。言語は、言葉にして名なのである。
(中略)
神はみずからのかたちに、人間を創造した。つまり、神は創造する者のかたちに、認識する者を創造した。
それゆえ、人間の精神的本質は言語である、という命題は説明を必要とすることになる。
人間の精神的本質とは、創造の媒質となった言語なのだ。
創造は言葉において成された。そして、神の言語的本質がこの言葉にほかならない。
ちくま学芸文庫 ヴァルター・ベンヤミン 「ベンヤミンコレクション1 近代の意味」より


んで、8はその安定している4つ組がさらに2つで相対することになるんだよね
レヴィの説明はこんな風に続いている
己れの判断の基盤そのものを帰納的(ア・ポステリオリ)に確立したのちに、すなわち照応の普遍的法則を通じて、原因の活力そのものの中に含まれている結果から原因を理解したのちにはじめて先験的(ア・プリオリ)に判断するという点において魔術は神秘主義と異なる。従って隠秘学においては一切が現実的であり、理論は経験の基礎の上においてのみ確立される。
(中略)
言い換えれば原因において真実であるものは結果においても実現される。実現されないものは存在しないのである。言葉の実現、これが正しい意味における「言」である。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理篇ーより


端的にいうと、因果関係はそれそのものが呼応していて、原因の事象におこったものは結果の事象にもそのパターンが反映されてるってことがいいたいのかなっておもうんだよね

でも、僕がわかる部分だけでちょっと理解すると、「人間は神様の姿似だから、神の四つ組が人間の中にも反映されてる。だから人間と神様をセットで考えると4+4の8がでてくる、みたいなそんなかんじ?」

ただ、このいくつかの寓意から読み取れるのは、「理論」は理論のままでは何も形をとれず、必ず「実行」が必要となる。
そして概念は四つ組でできてるから、対象関係をとることが可能な「理論の中の四つ組」と「実行の中の四つ組」があわせて初めて現実の形になるっていうことなのかなっておもうんだよね。



んで、結局、この8のカードってどういう意味なの?

原因は結果を通して現われ、結果は原因とつりあう。「神の言」、「唯一無二の言葉」、「聖四文字」も四組の創造によって確認されたのである。人間の生殖力は神の生殖力の証明である。神の名「イォド」とは「第一原理」に備わって不滅の精力である。己れの姿を無限に拡大することによって「神」なるものを理解したとき、人間は自分が「神」の姿になぞって作られたものであることを理解したのである。
「神」を無限大の人間と理解したとき、人間は自分に向かってこう言ったのである。私は有限の「神」であると。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理編ー

ここからわかることが、今ある状態を認識して、そのより上位の存在と今を結びつけることができたのがこの8ってことだとおもうんだよね。
だから、この8のカードたちは「次のステージ」、もうちょっと説明すると、これから「9」「10」でもたらされる各スートの結論にむかっての一歩を進み出したカードだって解釈したらいいとおもうんだよね

起承転結の転みたいなかんじで、結にむかっての転換点なんだね。

物事が進む時ってどこかでブレイクスルーというか、ジャンプアップみたいなときがあるとおもうんだよね。
否応無しに見る世界がかわっちゃうとか、次のステージにいかされちゃうとか。
そういうのをあらわしてるんじゃないかなって僕は思うよ
34-1 8のカードの概要
各スートの8のカードは第8セフィラのホドに対応しています。ホドは「栄光」を司るセフィラです。
「栄光」というタイトルに反して、各スートの8のカードはあまり明るくない印象のカードも多いようにかんじます。




エリファス・レヴィは8に対してこのような説明を加えています。
原因は結果を通して現われ、結果は原因とつりあう。「神の言」、「唯一無二の言葉」、「聖四文字」も四組の創造によって確認されたのである。人間の生殖力は神の生殖力の証明である。神の名「イォド」とは「第一原理」に備わって不滅の精力である。己れの姿を無限に拡大することによって「神」なるものを理解したとき、人間は自分が「神」の姿になぞって作られたものであることを理解したのである。
「神」を無限大の人間と理解したとき、人間は自分に向かってこう言ったのである。私は有限の「神」であると。
(中略)
己れの判断の基盤そのものを帰納的(ア・ポステリオリ)に確立したのちに、すなわち照応の普遍的法則を通じて、原因の活力そのものの中に含まれている結果から原因を理解したのちにはじめて先験的(ア・プリオリ)に判断するという点において魔術は神秘主義と異なる。従って隠秘学においては一切が現実的であり、理論は経験の基礎の上においてのみ確立される。
(中略)
言い換えれば原因において真実であるものは結果においても実現される。実現されないものは存在しないのである。言葉の実現、これが正しい意味における「言」である。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理篇ーより
8についての説明の中で、レヴィはいくつか対になるものをとりあげています。
- 「神」ー「人間」
- 「帰納的」ー「先験的」
- 「原因」ー「結果」
物事が「現実」になるとき、先立つ「概念」と、それに伴う「実行」があります。「概念」と「実行」は独立しておらず、実行から概念を辿ることもできれば、概念から実行を導き出すこともできます。
8はそのあとの9を経て、最終結果である「10」に行き着きます。その「10」に向かうための「概念」と「実行」の接続点である8では、10である結果にむかうために。実現のステージへ向かうために必要なステップが寓意されています。
そのため、ここでの「栄光」とは、概念の「完成」のためにもたらされる具体的な変化と考えるのがいいのではないかと思います。
34-2 ワンドの8



ウェイトはこのカードに対してこんな説明を加えている。
開けた田園の上を8本のワンドが飛行している。これは不動のものを通して運動を表現したカードである。だが、それは忠実に自分のコースを辿っている。それの示すものはごく手近に、もしかしたらすでに戸口まできているかもしれない。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より


この8のカードたちは「結末」にむけて各スートがとることが寓意されてる。
ワンドは無限の拡大、活動をしめすんだけど、それが最後形をなすときには、必ずエネルギーのむきを集中させる必要がある。


このカードはゴールを決めた後の素早い行動や変化をあらわしてるんだよ
基本的な解釈
集中線のように、ワンドが一列になって田園風景を飛び出しています。
ウェイトはこのカードの正位置に対してこのような説明をつけています。
活動性。素早さ。急ぎのメッセージ。大きな希望。あっという間に成功する。一般に動いているもの。また、恋の矢。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
8のカードは最終結果にむけて、必要な変化が描かれています。ワンドのコンセプトは活動やエネルギーの拡大ですが、それを実現するためにはエネルギーの流れるむきを決めて、一気に流す必要があります。このカードは物事が「成果」「結末」に向けて一気に動き出すこと、勢いのある変化が得られることが描かれています。
正位置
正位置ではこのカードのもつ「変化」が中庸にはたらいていると解釈します。
仕事でも人間関係でも自分の気持ちや、やりたいことがはっきりして、そこにむけて勢いよく進んでいけることが寓意されています。
また、いい意味で状況が急転して結果につながることにもなりそうです。
あなたが思っているよりも物事は素早くすすんでいきそうです。
逆位置
逆位置ではこのカードがもつ「変化」やスピード感が過剰や不足にはたらいていると解釈します。
過剰の場合は、悪い意味での状況の急変が予測されます。予想外のことで状況が変わり、これまでの捉え方とは違う捉え方が求められています。
また、予期せぬ物事によって気持ちが大きく乱れて失調することが寓意されている場合もあります。
不足の場合には結果に至る行動がとれないこと、結末にいたるまでにだらだらと時間がかかりそうなことを寓意します。
34-3 カップの8


5のカードでは、倒れてるコップをみつめてたけど、今度は、コップはちゃんと並んでるのに、それも見ないでどこかにいっちゃうんだね

まず、カード全体にはこんな説明をしてて
落胆したようすの男が彼の成功、企画、着手など、これまで関係のあったものなどを象徴するカップを捨てて行く。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より

このカードは述べた意味のほか、喜び、温厚、内気、名誉、謙遜などの意味もある。実際には、ものごとの衰退や、良きにつけ悪しきにつけ重要とおもわれていたことが実際にはそうではかったということをあらわす。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より

何か捨てなくちゃいけなくてがっかりしたけど、それがかえってよかった、みたいなかんじ?

カップは愛情や精神性をあらわす。そして受容のカードでもある。
本当に大切なものを受け取るためには、今あるものを手放す必要があることを寓意してるんじゃないかなと僕は思うよ。
どんなに素晴らしいものでも、「次」に行く時は必ずくる。別れの痛みを受け止められる人だけが次にいけるんじゃないかなって僕は思うんだ。
基本的な解釈
暗い夜の風景の中を、男が一人、きれいにつまれたカップを背に歩き出します。
たおれてしまったカップを名残惜しげに眺める5のカードとは対照的に、彼はきれいにつみあがったカップから自ら離れていっています。
アーサー・ウェイトはこのカードの正位置にこのような解説をつけています。
このカードは述べた意味のほか、喜び、温厚、内気、名誉、謙遜などの意味もある。実際には、ものごとの衰退や、良きにつけ悪しきにつけ重要とおもわれていたことが実際にはそうではかったということをあらわす。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
各カードの8のカードは完成のために、必要なこと、次のステージにいくために必要なことを示唆します。
例えば、新しい家庭をつくるためには生まれ育った家庭を出て行く必要があるように、カップが寓意する愛情や精神性は「永遠」に続くものではなく、ステージごとに形をかえていくものでもあります。
愛情がともなうものからの別離、変化はとても悲しいものです。
ですが、その悲しみを乗り越えて、後ろを振り返ることなく次のステージに進んでいける人は真に大切な愛情を受け取ることができるひとでもあるのです。
正位置
このカードがもつ「手放し」「離脱」が中庸にはたらいていると解釈します。
今あるものを手放して次にむかう時がきています。
人は遠くにいる天使よりも近くの慣れ親しんだ悪魔とつきあいがちです。
慣れている状況からの変化はそれそのものが人間にとっては大きなストレスです。
ですが、どんなに素晴らしいもの、素晴らしい関係でも「その時」がきたら必ず次のステージへとすすんでいきます。「別れ」は「出会い」と表裏一体のものです。
このカードは対象が人にしろ、仕事にしろ、モノにしろ、あなたが慣れ親しんだものをあなたの決断で手放していくことで次に進めることを示唆しています。
逆位置
逆位置の場合には「手放し」や「離脱」が過剰や不足にはたらいていると解釈します。
過剰の場合は、「手放し」という前向きなものではなく「逃避」になってしまっていないかという警告です。
どんな物事にも完璧はなかなかありません。逆位置のカップの8は、あなたが物事や人の欠点を大きくみすぎてしまって、まだ学ぶ余地があるにもかかわらず、性急に「逃避」しようとしていないか警告をしてくれています。
不足の場合はその逆で、もう「手放し」「離脱」の時がきているのに、そのものごとに執着してしまっていることへの警告です。
どんなにおいしいご馳走も長く起き過ぎて腐ってしまったら食べられません。執着を手放して、次のステージへと進んでいく準備をしましょう。
34-4 ソードの8


2のカードは自分の意思で目隠ししてるかんじだったけど、これはつかまってどうしょうもなくなっちゃってる感じだね

縛られ、目隠しをされた女性の周りに剣が立っている。このカードは脱出不可能な束縛というよりも、一時的な忍耐をあらわしている。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より


彼女のまわりに剣はいっぱい突き刺さってるとはいえ、このカードが「剣の8」って名前ってことは、手前には彼女を阻む剣はないってことだし、拘束も結構雑なんだよね。

でもさ、この8のカードって各スートが次のステージにいくためにおこることってことでしょ?
この拘束されてることが剣の次のステージってどういうこと?




でも、手段として戦いを選び、ゼロサムゲームの舞台にたってしまった以上、結末は絶対に敗北なんだ。


このカードのポイントは目隠しなんじゃないかっておもうんだよね。
この人、多分目隠しされてなかったら縄を適当にゆるめて逃げられるとおもうんだけど、
自分の状況がみえないことで勝手に追い込まれちゃってるとも言えるとおもうんだ。

でもそれが「次のステップ」にどうつながるの?

そしてその敗北は、自分の視野がせまくなることによっておこると思うんだ


「相手が負けて自分が勝つ」方法でも「相手に全てを奪わせる」方法でもなく、相手と自分がどちらも幸福になる方法を選べばいい。それは戦いから逃げることかもしれないし、戦い以外の方法を選ぶことかもしれない。
この8の彼女だって目隠しをとってスッキリ逃げちゃったらそれでいいんだよ。
でも、「戦うしかない」って決めて他の手段を閉ざしてしまうことで、結局誰かの敗北は避けることができないんだ


彼女もそんなかんじなんだよ。
ソードの結末は敗北ときまってる。そしてそれは、視野を閉ざしてしまって他の道を自ら無くしてしまうことでもたらされるんだ。
敗北から逃れる方法は「勝つ」ことじゃない。戦いを降りることだ。
でもそれは、利害や何かにとらわれてしまっているときには選べない。
つまり、ぼくたちを敗北に導くのは弱さじゃなくて、「目隠し」なんだよ。
基本的な解釈
目隠しをされた女性が拘束されてぬかるみの中にたっています。
彼女のまわりには剣が突き刺されており、彼女は身動きがとれなくなっているようにみえます。
しかしウェイトはこのカードに対してこのような解釈をつけました。
縛られ、目隠しをされた女性の周りに剣が立っている。このカードは脱出不可能な束縛というよりも、一時的な忍耐をあらわしている。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
つまりこの状況は脱出不可能な状況ではなく、一時的な拘束なのです。
よくみれば、彼女の拘束は杜撰で、つきたてられた剣は背後にしかなく、彼女の前進を阻む物は何もありません。彼女は目隠しさえなければここから自由に抜け出すことができるでしょう。
しかし目隠しをされた彼女は屈辱の泥にまみれ、身動きが取れないと考えてしまっているようです。
8のカードは次のステージへと進むために各スートでおこることを示します。
ソードの10でもたらされる「敗死」に続くステージだと考えるのであれば、これは周囲から孤立し、何かにとらわれてしまうことが敗北へとつながると読むこともできますし、戦いと言う手段に囚われることそのものが「敗死」につながるともとれるでしょう。
また、ソードの10の結末に拘らず、「叡智」というソードのキーワードから「次のステージに進む方法」と考えるのであればここであらわされているのは「無知の知」といえるかもしれません。
「私にはわかっている。知っている」と思ううちは、新たな叡智を手に入れることはありません。「自分は何もわかっていない、見えていない」と自覚することこそが叡智のステージを上がる一歩となります。
いずれにせよこのカードは状況が見えず、何かにとらわれていること、膠着状態にあることをあらわしています。
正位置
正位置の場合は「拘束」「膠着」というこのカードのキーワードが中庸にはたらいていると解釈します。
身動きがとれず、自力では問題解決ができない、この問題に対して自分はあまりに無力であると「感じている」状態です。
ここでの問題は、実際に問題の解決が難しいことではなく、対象者が(実際以上に)問題の解決がむつかしい、と強く感じてしまっていることです。
この女性が目隠しのせいで逃げられなくなっているように、ここでの問題のハードルは問題そのものではなく、「問題が難しい、解決できない」と認識している自分の気持ちです。
ソードの8は、自らが思い込んだり、考え過ぎたりすることで、かえって、解決策がみえなくなってしまっていないか、自分で自分のハードルをあげて不自由においこんでしまっていないかを示唆しています。
逆位置
逆位置は束縛からの解放を示唆します。
問題を乗り越える一番簡単な方法はそれを問題だと認識しないことです。
思考のこだわりや、無理だと感じていた意識の檻から解放され、問題解決や自由にむけた第一歩が踏み出せるようになることが示唆されています。
34-5 ペンタクルの8


8の「次のステージへいく」っていうイメージがこれはなんかわかりやすいなあ





なんとなく、スキルアップっていったら「目的」があってそれに対して技をみがく感じだと思うんだけど、このペンタクルの8の人って一心不乱に彫刻に打ち込んでるよね。ウェイトはこの絵に対して、「石材彫刻家が仕事をしていて、作品を誇らしげに展示している」って説明してる。ペンタクルの7では「作物」が「ペンタクル」の形で描かれていて、その作物に対して「この作物は彼の宝物である」って説明してた


なんか、スキルアップって言う言葉だったりビジネスで利益をあげることって、「儲け」「利益」を「目的」として、「手段」として何かの作品や事業を手掛けるイメージを持ちがちなんだけど、本当にいいものを作って行くためには「作品」や「事業」そのものを「目的」として、それを磨くことに専念する時期が必要なんだとおもうんだよね。
そしてその見えない部分でのこだわりが「その人だけ」の価値を生み出して、それがより高いレベルでの収穫や成果につながるんだとおもうんだ。

いろんな作品でも「そこまでこだわるか?」っていうレベルまで作り込んでるやつって商業目的でつくられたものより全然面白かったりするもんね。

このカードは、専心すること、作ることが手段ではなく目的となることが、余人には成し遂げられない素晴らしい収穫や成果につながることを示唆してるんだとおもうよ
基本的な解釈
彫刻家が作品を作っています。ウェイトはペンタクルの3のところで、
彫刻家が僧院で仕事をしている。この図柄と「ペンタクルの8」を比較対象してほしい。そこでは徒弟もしくは素人であった者が、報酬を得て今や専門家になっている
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
とのべています。ここに描かれているのは修行中の徒弟なのです。
また、ウェイトはペンタクル8そのものの解説については
石材彫刻家が仕事をしていて、作品を誇らしげに展示している。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
と述べています。修行中の彼は、「作ったものを換金して利益を得ること」よりも、「作品そのもの」を大切に思っているようなのです。
また、ペンタクルの7の説明でペンタクルの形で描かれた作物に対して「これは彼の宝である」と説明を加えていることからも、ペンタクルの8の人物にとって、彼の成果物こそが彼の宝であることが伺えます。
いろんな分野で一流と呼ばれる人は、もちろんそれによって名声や金銭的な恩恵を受けているでしょうが、その「名声」や「金銭的な恩恵」はあとからついてきたものであって、「その分野、そのものを極めることそのものに集中した」時期が必ずあるのではないでしょうか。
各スートの8は、そのスートが次のステージへと向かうために必要なステップが示されています。
収穫や成功をあらわすペンタクルが、その道を極めるためには、夢中でそのものに取り組むことが必要であることが示唆されています。
彼の作品はまだ何にも換金・還元されていません。彼は大物になることを夢見て歯を食いしばっているというよりは、その作品を作ることそのもの、準備をすすめることそのものが楽しく、夢中になっているのです。
正位置
修行中、鍛錬中、準備中であることが中庸にはたらいていると解釈します。
何かの分野に打ち込んで修練をすること、今すぐの成功ではなく、まずはスキルを積み上げること、努力をすることが求められていることが描かれています。
また、今自分の進んでいる方向性は正しいため、安心してその道に専心してかまわないことも告げています。
すぐに結果が出るカードではありませんが、あなたの心が動くその道を邁進していくことで結果があとから必ず伴って行くことを示唆してくれています。
逆位置
修行中、鍛錬中、準備中であることが過剰や不足ではたらいていると解釈します。
過剰の場合には、本当は実行のフェーズに移さないといけないにもかかわらず、「自分にはその力がない」と思い込み、「勉強すること」「鍛錬すること」に逃げていることを示唆しています。
「できるようになったら見せよう。」「満足ができたら世に出そう」という姿勢はとても立派ですが、プロトタイプでも世に出して意見をもらうことは大切です。また、人間関係でいうのであれば、「もっと可愛くならないと愛されない」「もっと素敵にならないとつりあわない」と、自分で思ってしまうことでハードルを上げていることが示唆されます。人はいつまでも「徒弟」でいるわけにはいかず、どこかで前に出る必要があります。過剰に準備中の期間をのばさないように警告してくれています。
不足の場合には、今はまだ準備やスキルアップの時期であるにもかかわらず、結果を出したくて焦ってしまっている状況が示唆されます。人は自らが勝手に課した期限(○才までに○○しなきゃ)に勝手に焦り、そして「やっぱりできなかった自分」に自己憐憫を感じる(自己憐憫は一種の麻薬的快楽があります)ムーブを繰り返しがちです。
その人にはその人のタイミングがあり、春に咲く花もあれば夏に咲く花もあるように、いつ芽が出るかはその人自身のタイミングがあります。
プロモーションや見せ方、手段やタイミングに拘ることが悪いことだとはいいませんが、ペンタクルの8の逆位置は、今は焦らず自分のできること、自分のスキルアップにつながることに取り組むべきであるとアドバイスをしてくれています
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