第32話:小アルカナを学ぼう その7 6のカード
各カードの6のカードの意味を理解しよう

32 6のカードを学ぼう








いつも引用してるエリファスなんたらさんは6にどんな説明つけてるの?

最高の知能は当然のことながら条理にかなっている。「神」は、哲学に於ては、一つの仮設でしかありえない、しかしこれは良識によって人間の条理に押しつけられる仮設である。「絶対的条理」を擬人化することが「神の理念」の規程につながる。必然、自由、そして条理、これこそが「カバラ」の偉大な至高の三角形、最高位の神々しい「三つ組」であり、カバリストたちはこのうち条理を「王冠(ケテル)」、必然を「知恵(コクマ)」、そして自由を「知能(ビナ)」と名付けるのである。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀 ー教理篇ー」より





なんで突然そんなこといいだしたの?

ただ、6って自分以外の約数の和になってる完全数っていう面白い数なんだよ。んで、その自分以外の約数っていうのが1,2,3なんだ。カバラの考え方の根底にピタゴラス学派があるわけだからこういうこと考えてもいいんじゃ無いかなーと思って。
まあ、僕はカバラはまだまだ不勉強だから今のは本当に感想だよ。
でも、実際タロット関連書籍ってこういう「誤読」を能動的にやってみるのがいいんじゃないかなっておもうよ。そもそもが「類似」のエピステーメーで解釈する類のものだとおもうからね。


「幽光」を自在に操るためにはまた、その二通りの振動を理解し、魔術的均衡とよばれる「カバラ」に於いて六つ組で表される諸力の均衡を見極めることが必要である。
この均衡はその第一原因のすがたでながめたときは「神」の意思であり、人間の中においては、自由であり、物質の中においては数学的均衡である。
均衡は安定性と持続性を産み出す。
自由は人間の不滅性を産み出し、「神」の意思は永遠なる条理の法則を作動させる。観念の中の均衡が、知恵であり、能力の中ではこれが偉力となる。均衡とは厳密性である。法則を守れば、均衡が存在し、いかにわずかにせよ、法則を犯せば、均衡はもはや存在しなくなる。
それ故なにひとつ無益・無用なものはない。すべての言葉、すべての運動が均衡のために、もしくは均衡と対立して、真理のために、もしくは真理と対立して存在するのである、けだし均衡は真理を表わし、そして真理は賛成と反対の和解、少なくとも両名の釣り合いでなりたつのだから
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理篇ーより



「完璧な原理」は三つ組で成立するけど、その三つ組がさらに二組存在することによって、均衡にはたらいて安定するっていいたいのかな?


32-1 6のカードの概要
各スートの6のカードは、セフィロトの樹の6のセフィラ「ティファレト」に対応しています。
6のティファレトに対してエリファス・レヴィは以下のようにのべています。
最高の知能は当然のことながら条理にかなっている。「神」は、哲学に於ては、一つの仮設でしかありえない、しかしこれは良識によって人間の条理に押しつけられる仮設である。「絶対的条理」を擬人化することが「神の理念」の規程につながる。必然、自由、そして条理、これこそが「カバラ」の偉大な至高の三角形、最高位の神々しい「三つ組」であり、カバリストたちはこのうち条理を「王冠(ケテル)」、必然を「知恵(コクマ)」、そして自由を「知能(ビナ)」と名付けるのである。
(中略)
幽光」を自在に操るためにはまた、その二通りの振動を理解し、魔術的均衡とよばれる「カバラ」に於いて六つ組で表される諸力の均衡を見極めることが必要である。
この均衡はその第一原因のすがたでながめたときは「神」の意思であり、人間の中においては、自由であり、物質の中においては数学的均衡である。
均衡は安定性と持続性を産み出す。
自由は人間の不滅性を産み出し、「神」の意思は永遠なる条理の法則を作動させる。観念の中の均衡が、知恵であり、能力の中ではこれが偉力となる。均衡とは厳密性である。法則を守れば、均衡が存在し、いかにわずかにせよ、法則を犯せば、均衡はもはや存在しなくなる。
それ故なにひとつ無益・無用なものはない。すべての言葉、すべての運動が均衡のために、もしくは均衡と対立して、真理のために、もしくは真理と対立して存在するのである、けだし均衡は真理を表わし、そして真理は賛成と反対の和解、少なくとも両名の釣り合いでなりたつのだから
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀 ー教理篇ー」より
6は自分以外の約数の合計でできている数字で完全数とよばれます。そして6をのぞいた6の約数は1と2と3です。レヴィは三つ組の合計説明の引き合いに、ケテル(=1)、コクマ(=2)、ビナ(=3)を出していますが、1と2と3の合計が完全数である6なのです。
三つ組で出現する「完全な言」が6でさらに完成されるとはどういうことでしょうか?
レヴィは6の説明のタイトルに「魔術的均衡」というサブタイトルをつけています。
自然界の多くの力は引力と斥力からなりたちます。N極とS極が引き合って、N極同士、S極同士がしりぞけあうように、2つの力が均衡を保っているときに世界は「安定」した形をとるのです。
「言」には必ず反対概念が想定できます。三つ組で作られた「完全な言」は反対概念と拮抗することで均衡をたもちます。そしてアリストテレスは「中庸」をたもつことこそが徳であると考えました。
そのため、各スートの6のカードではそれぞれのスートがもっとも均衡をたもち、そして美しく表現された際におこることが描かれています。
32-2 ワンドの6

なんか並べてみると、5でわちゃわちゃしてた人が、6で決着がついてみんなで凱旋してるみたいに見えるね



凱旋してるところなんだろうね
実はウェイトの解説書では小アルカナはキングからエースの順番に説明されてる。そういう風に考えると、6で凱旋していたものが、5でさらに切磋琢磨してるともとれるね。

逆からみた解説も一回やってみたいなあ。

大切なのは自分が興味をもって自分の言葉で理解していくことだとおもうから面白そうだとおもったらどんどんやってみてね
基本的な解釈
月桂冠を被った若者が馬にまたがり、同じようにワンドをもった人たちを従えています。
5で均衡していた力にある一つの決着がついたようにみえます。
ウェイトはこのカードに対して以下のように説明をつけています。
月桂冠をかぶった騎士が、同じく月桂冠で飾られた杖を手にしている。足元の従者たちもそれぞれの杖をもっている。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
各スートのもっとも美しい表現である6のカードにおいて、ワンドは目的が達成された瞬間の喜び、勝利の喜びが描かれています。
敵を出し抜き倒すことを目的としているソードとちがい、勢力の拡大をめざすワンドの「勝利」は常に「道の途中」です。この勝利でさらに大きな力を得て、(従えている従者がそれをあらわしています)さらに新しいステージへと進んでいく姿が描かれています。
正位置
正位置では「目的の達成、勝利」というこのカードのもつ意味が中庸にはたらいていると考えます。
これまで取り組んでいたことに一定の成果が得られること、そしてさらに次のステージへと進んでいけることが示唆されています。
ワンドの「勝利」とは敗者を産み出す「最終決着」ではなく、敗者も味方に加えて一緒に進んでいく「凱旋」です。このカードはあなたがさらなる挑戦にすすんでいくこと、人間関係の場合にはさらなる関係の発展に進んでいけることを示唆しています。
逆位置
逆位置では「目的の達成、勝利」というこのカードの持つ意味が過剰や不足として働いていると考えます。
過剰として働く場合には目的の達成にこだわりすぎて、手段を選ばなくなってしまっていることや、焦りがでてしまっていることへの警告が寓意されています。
不足の場合には、目的の達成にいたらないこと、前に進むことに対して臆病になってしまうことが示唆されています。
また、救いとしてこのカードがもたらされる場合には勝負から降りてマイペースに進むことができることや、目的は達成できなくとも信頼できる仲間のサポートが得られることなども示唆します。
32-3 カップの6




大人になるにつれて、僕たちは損得とかいろんなことを考えるようになる。「好きっていったら嫌われちゃったらどうしよう」って怖がりになったり、打算的になったりする。でも小さい子供は素直に自分の好意を表現できるとおもうんだよね





素敵なカードだけど、ちょっとはかなさもかんじるところのあるカードかもしれないね
基本的な解釈
男の子が女の子にお花のはいったカップを差し出しています。
これまでのカードにくらべて、カップはかなり大きく、そして白い花で満たされています。
そのスートが最も美しく表現されたときにおこることをあらわす6のカードですが、愛情や感情を表すカップにおいてはそれは、子供のころの見返りや打算のなかったとても美しかった純粋な愛の形、そして誰にも汚すことのできない美しい思い出を寓意します。
このカードは過去と記憶を表すカードです。
正位置
カップの6の正位置は「過去」と「記憶」を寓意します。
実際の過去の出来事をあらわすこともあれば、過去の記憶が今に及ぼしている影響を表すこともあります。
正位置の場合には、過去の記憶があなたを支えてくれていること、その人との過去の思い出がその人にとってのプラスの感情につながっているなど、過去の記憶がプラスにはたらいていることを示している場合が多いです。
ただ、状況によっては過去を懐かしむあまり、現在の姿が見えなくなっていることを表す場合もあります。
逆位置
逆位置の場合は「過去」「記憶」という正位置でのキーワードが過剰や不足にはたらいていると考えます。
過剰の場合には、過去の記憶への執着が強すぎて、次のステップにいけなくなってしまったり、空想の中に強く囚われてしまっていることが示唆されます。
不足の場合には、「過去」「記憶」から脱却して、現実にむけての行動がとれはじめていることを示唆します。このカードは正位置にしても逆位置にしても、相談者の状況によって読み方が大きく変わってくるカードの一つです。相手の状況や相談内容に応じて読み方を慎重に考えていく必要があるでしょう。
32-4 ソードの6




僕はこの前にのってる女の人と子供を逃そうとしてるように見えるよ。


とっても悲しいことだけど、自然科学も人文科学も「戦争」でめちゃくちゃ発達しちゃうんだ。
原子核の発見から、原子爆弾の開発が人類史上まれにみるような天才たちの活躍によって爆速で進んだのはナチス・ドイツの脅威があったからだし、その原子爆弾が落とされてしまったことで「近代理性の限界」という課題がみえてきて、人文学的な思想面でのアップデートもめちゃくちゃ進んだ。
自分たちの思想を魅力的に伝えるために第二次大戦では「コマーシャリズム」もめちゃくちゃ発達した。


でも、そんなふうに「戦争」で発達した技術や思想も使い方をちゃんと考えたら素敵なモノをたくさんもたらせるんだよね。
「ソードは不幸をもたらすスート」ってよくかかれてるし、もちろん争いはよくないんだけど、そのときに生まれて知性を「大切なものを守る」ために、しかも「戦いを降りるため」に使うとしたら、それって僕はとても素敵なことだとおもうんだよね。


でもそうなんだよね。ソードの6は争いが産み出した知性は争いを避けたり争いから大切なものを守るために使えることも教えてくれてるんじゃないかなって僕は思うよ。
基本的な解釈
船頭が積荷と旅人をのせて船をこいでいます。
岸はまだ遥か遠くですが、その旅程は順調で、彼は積荷と旅人を向こう岸に送り届けることができそうです。
各スートがもっとも美しく表現される6のカードでソードの6がこのような船頭が描かれているのはどういうことなのでしょうか?
ソードは戦いや叡智を表します。
生存競争が進化を加速させていくように、戦いの中で知性や叡智は磨かれて行きますが、その一方で、叡智をうまく利用して戦いをおらわせたり戦いを避けたりすることもできます。
ソードの6は、叡智や知性を相手を出し抜いて目的を達成することではなく、「戦いそのものを回避して」目的を達成することに用いることこそが、叡智の最も美しい使い方であると表しているのではないでしょうか。
正位置
正位置では知性をもって問題を解決することが示唆されます。
アーサー・ウェイトはこのカードに対して
船頭が旅人を小船に乗せて遥かな岸を目指している。コースは穏やかで、積荷も軽く見える。彼はこの仕事をやり過ごすだろう。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
と説明を加えています。
このカードがでてきたとき、対象者は問題を抱えていたとしたらその問題に対して、うまく対応できること、簡単にやりとげられることが示唆されます。妨害がはいらずにスムーズに事が進められることがここでは示唆されます。
また、船頭は人のいない航路を選んでいることから、問題の解決方法は正面衝突というよりも、なるべく揉め事が起きない形、衝突を避ける形での解決となりそうです。
逆位置
逆位置の場合には、知性をもって問題を解決することが過剰や不足として働くことが示唆されます。
過剰に働く場合には、「自分」ではなく「相手」をなんとかしようとするあまり、衝突につながってしまうことが示唆されます。
また、穏やかな解決は望みにくく、対決がさけられないことを示唆する場合もあります。
不足に働く場合には、問題を解決するには力不足であり、「問題を避ける」というよりは「対象そのものを避ける=逃避」になってしまっていることが警告されています。
救いとしてこのカードがもたらされるときには、問題に向き合う覚悟ができたことが示唆される場合もあります。
32-5 ペンタクルの6

4はあんなにけちんぼだったのに、気前よく分け与えてるんだねえ



でも確かに、「収穫」や「成果」って自分のために使うのもいいけど、それを人と分かち合う選択ができて、しかもそれが「社会」のためになることができたらそれってすごくいい使い方だよね

社会主義を失敗だとは言わないけど、みんなが幸せに暮らせる社会っていうのは「平等」を強要する社会じゃなくて、得た富を「みんな」が幸せになるように「自分の収支がくずれない範囲で」分け与えていくことだとおもうんだよね
自分をすべて投げ打つのは美しいんだけど、それで貧しくなってしまってしまうよりは、継続的に喜捨をしたほうがいいとおもうんだ。


大切なのは、得た富は自分だけのものじゃなくて、自分がつながっている社会に対して還元していくこと、自分だけじゃなくて世界みんなが幸せになるための選択をしていくことで、より世界も自分も豊かになっていくっていう感覚を持ってる事なんじゃないかなって思うよ
基本的な解釈
裕福そうな商人風のみなりの人が貧しい人たちに施しをしています。
アーサー・ウェイトはこのカードに対して以下のような説明をつけくわえています
商人のように見える男が天秤でお金を量りながら、困窮する人々に分け与えている。それは彼の人生における成功と、心の善良さをあらわす。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
収穫や富を表すペンタクルにおいて、最もそれが美しい形で表現される「6」では、喜捨をする姿がえがかれています。
ただし、彼は全財産を投げ打って自分まで貧民になってしまうようなことはせず、手に持った天秤は、彼は自分の収支バランスをたもちながら、喜捨をしていることを示唆しています。
つまり、彼は「自分」も含めた人々の「幸せ」のために富をつかえているのです。
このカードは自分の成功を人と分かち合うことで富以上のものが得られることを示唆しています
正位置
正位置ではこのカードのもつ慈善、寛大さが中庸にはたらいていると考えます。
このカードは相談者が質問した項目に対して十分な成功がえられることを表すだけではなく、その喜びを人々と分かち合うことでその喜びが大きくなることを示唆します。
ただし、このカードでは真ん中の男性は天秤を握っています。人と分かち合うことは大切ですが、あくまで「自分の無理のない範囲で」ということも警告されています。
このカードは成功と、その成功の成果に対して他者への感謝や分かち合いを忘れないことの大切さとともに、「自分の無理のない範囲で」分かち合いをしていくことの大切さも示唆しています。
逆位置
逆位置ではこのカードのもつ慈善、寛大さが過剰や不足に働いていると考えます。
過剰の場合は、他者からの承認を得るために、自分をないがしろにしてまで他者に報いてしまっていないかということが示唆されています。
あなたが不幸になっても誰も喜びませんし、あなたが不幸になってまで自分に施すことを求める人はあなたの大切な人にはなり得ません。自分の尊厳を大切にするように警告されています。
不足の場合には、周囲への感謝やリターンが不足していることが示唆されます。
伝えているつもり、渡しているつもりでも、相手には伝わっていないことはよくあります。意図的に感謝やリターンを周囲にかえしていきましょう。
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