10のカードについて
各スートの10のカードは第10セフィラのマルクトに対応しています。
レヴィはマルクトや、セフィロトの樹全体をまとめて以下のように述べています。
「ゲブラ」と「ケセド」の上に存在するもの、それは「至高の王冠」
さくにもふれた「主祷文(パテル)」の隠秘学・カバラ的唱句の中で「マルクト」の名のもとに示されている、均衡を授けるちから、すなわち世界の原理、均衡のとれた王国の原理である。
ところで、上では「王冠」によって、下では「王国」によって均衡状態にたもたれる「厳格(ゲブラ)」と「慈悲(ケセド)」とは、抽象的観点からも、また具体的観点からも眺めることができる二原理である。抽象的すなわち理念化されたかたちでは、「知恵(コクマ)」と「知能(ビナ)」というさらにすぐれた名称を授けられる。具体的な形をとるときは、安定と進歩、すなわち永遠と勝利、「ホド」と「ネツァ」という名称を授けられる。
これが、「カバラ」の教義に従えば、すべての宗教すべての学問の基礎、万物に適応できる不動の根本概念であり、要するに三つ組からなる三角形と一個の円、理念の領域においてはそれ自体で自己増殖する均衡によって説明できる三つ組の理念、次いでこの概念の具体的実現というかたちであらわされるのである。
人文書院 エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」ー教理篇ー
セフィロトの樹は、ケテル(王冠)が最上にあり、マルクト(王国)が最下位にあります。
レヴィはその真ん中にあるものとして、5のゲブラ(峻厳)と4のケセド(慈悲)を挙げています。この構図は、セフィロトの樹を3本柱として解釈するとわかりやすいです。
セフィロトの樹は、以下の図のように、峻厳の柱・慈悲の柱・均衡の柱という3本の柱でできていると解釈することもできます。
レヴィの説明にしたがえば、5のゲブラ(峻厳)をより抽象化したものが3のビナー(知能・理解)で、具体的な形にしたものがホド(栄光・永遠)であって、4のケセド(慈悲)をより抽象化したものが2のコクマー(知恵)で、具体化したものが7のネツァク(勝利)であると解釈できます。
つまり、セフィロトの樹は上にいけばいくほど抽象度が高く、下にいけばいくほど具体度が高く、そして同じ縦の列にならぶものは、同じ概念が対応することになります。
つまり、一番下にあるマルクトは、それぞれのスートが最も具体的な形で体現されたものということになります。
各スートの特徴については、3・9・10を比べるとわかりやすいです。
- 勢力の拡大を意図するワンドは無限の競争を生み出し、無限の世界と有限の人間というギャップからオーバーワークに陥る。
- 分かち合いや愛情の受け取りを意図するカップは、豊かさと愛にみちた関係をつくりあげる。
- 限られた物を奪い合うソードは必ず悲しみを生み出す。
- そしてコツコツと形ある物をつくりあげていくペンタクルは、本人が死んだ後も受け継がれる財産をつくりあげていく
このように、各小アルカナの10は、それぞれのスートの行き着く先、地上で具体的な形にされるものが示されています。それぞれのスートの性質を知るとともに、そのスート行き着いたものがどうなるかを考えると理解しやすいとおもいます。
各スートの10の解説
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