カップの5
基本的な解釈
一人の男性とも女性ともわからな人物が、たおれた3つのカップを見つめています。表情はわかりませんが、その後ろ姿はとても悲しそうです。
対立・対立による喪失をあらわす5のカードにおいて、愛情や人間関係や精神的充足を寓意するカップでは、感情が対立したときに失われてしまうものがあることを示唆しています。
このカードに対して、アーサー・ウェイトは以下のような説明をしています。
損失をあらわすカードではあるが、いくらかは失われずに残っている。3つは使ってしまったが、2つは残されている。
魔女の家BOOKS アーサー・ウェイト「タロット公式テキストブック」より
この人物は、今は失われてしまったものに意識がの向いて、まだ持っているものには意識がむかないようです。
このカードは損失の悲しみをあらわしていますが、同時にそこから脱出するヒントもあらわされています。
この人物が失われた3つのカードではなく、残っている2つのカードに意識を向けることができればそこから必ずやり直すことができます。
地面にながれてしまったカップの中身を戻すことはできないかもしれませんが、倒れたカップは壊れてはおらずきれいなままなので、また新たに中身をそそぐこともできます。
悲しみを受け止めて、「失われたもの」ではなく「今もっているもの」に目を向けた時にまた歩き出せることもこのカードは示唆しています
正位置
このカードが意味する「損失による精神的な悲しみ」が中庸にはたらいていると解釈します。
これまで頑張ってきたこと、取り組んできたことに対して満足のいく結果がえられなかったり、ささいなことで感情をぶつけてしまい、人間関係がそこなわれてしまうかもしれません。ですが、その悲しみをじっくり感じきったあとで、「あなたが今もっているもの」に再度目を向けることができれば、また歩き出すことができることもカードは教えてくれています。人間関係でのトラブルや、成果が得られない悲しみと、そこから立ち直っていくことができることを両面で表しているカードです。
逆位置
カードが意味する「損失に対する精神的な悲しみ」が過剰や不足にはたらいていると解釈します。
過剰にはたらいているときは、悲しみを大きく受け止め過ぎて冷静な判断力が失われていることが示唆されています。変な話ですが、「死ぬほど」ショックなことがあっても「生きている」限りは「死に」ません。ショックで少し悲しみを大きく受け止め過ぎていないか、ショックを与えた事柄そのもの以上に自分がその悲しみを「増幅」」させてしまっていないか、落ち着いて検証しましょう。
不足の場合には、自分の悲しみの気持ちに蓋をしてしまっている可能性が示唆されています。
抑圧した感情、見て見ぬ振りをした感情はどこかで反乱を起こします。悲しいことが悪いわけでも惨めに感じることが悪いわけでもありません。それを自分で否定してしまうこと、自分で自分の感じたことを否定してしまうことがあなたの苦悩を終わらないものにしてしまいます。今はそっと自分の感情に目を向けてみてください。
また、悲しみや苦しみからの脱出、今もっているものに目を向けることができるようになるといった救いを意味する場合もあります。
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