第13話:タロットカードの意味をしろう! 09 隠者
- 隠者のカードの構図、モチーフを理解しよう
- 鑑定で隠者が出てきたときの意味をしろう!
13-1 隠者ってどんなカード?

ここまで若い人ばっかりだったのに、
突然おじいちゃんのカードになったねえ

あと、このカードはモチーフの数が極端に少ない。
ちょっとマルセイユ版とも比べてみようか



背景も山みたいなのしか見えてないし、色も暗い
ここまでのカードが派手だったから余計気になるのかな

他のカードと比べてもぐっと色味が抑えられてる印象だね

マルセイユ版とウェイト版は結構似てるけど
なんか印象が違うねえ

印象の違いは
視線の違いに起因するんじゃないかと僕は思うよ

あ、そういえばウェイト版のおじいちゃんは下むいてるね
わざわざランプもってるのに変なの。

どこか目的地があるはずだから、前を向いているマルセイユ版のほうが自然だと僕は思う
なんでわざわざウェイトは隠者に下をむかせたんたんだろうね?

ぼく、夜に道に落とし物しちゃったら
こんなポーズになってるかも。

さて、さらに質問を加えるよ。
そもそも、この人、何か見えているのかな?

おじいちゃん、ほとんど目をとじちゃってる?

ウェイトの隠者は目をそばめている。
目をそばめて、うなだれて、ランプを持っている
でも、ランプがあるということは何かを照らしたいはずなんだ。
彼は何を照らしたいんだろう

ランプがないとみえないもの?

ウェイトは力と正義を入れ替えた話をしたよね。
ウェイトは戦車ー正義ー隠者だった並びを
戦車ー力ー隠者に変えたんだ。
僕は元の並びもそこまで不自然だと思わない。
戦い(戦車)があって、何らかの結果がくだったものの(正義)、それは単なる通過点にすぎず、自分の内面を見つめなおすことになった(隠者)っていう話の流れだって素敵だと思う


戦車ー力ー隠者ー正義に並び変えた。
僕は「数の変化」をこの変更に感じるよ


戦車では白のスフィンクス・黒のスフィンクス・青年の3つが描かれている

えーと、そうすると、力は女の人とライオンの2つかな?

そして隠者では隠者1人、つまり1つだけのモチーフが描かれている
3-2-1と、モチーフの数が減っていってるんだ。
ちなみに正義のカードはこの数え方でいうと、正義の女神1体が描かれてるだけだから、モチーフの数は1つになって
3-1-1っていう並びになるね

ウェイトはそのカウントダウンに意味をもたせたかったってこと?

でも、戦車のモチーフを馬から獅子(=スフィンクス)に変えて力にそろえたこと
隠者が法王とちがってキリスト教的モチーフから解放されていることを考えると
僕はなんとなく「十牛図」を思い出しちゃうんだよ。
言い換えるなら、ヘーゲル的弁証法からの1つの脱出方法ともいえるね

わかる言い方にしてね。

ちょっと長くなっちゃいそうだから一般的で説明するね。
戦車の青年はね、自分の外側に力があって、しかもその力は「光」と「闇」、「善」と「悪」みたいな二項対立の世界、「価値の判断」ができる世界だと思ってる。
これはいわゆる、外の世界に対して「自分はこうしたい!」と抗ってる状態だね。


これは、力の女性が「本当の敵には外にはおらず、恐れ、恐怖、憎しみというものは自分の中に存在する自分自身である」って理解したことを寓意してる。
彼女にはウロボロスのモチーフがあって、「神との合一」を目指す意思があるってウェイトも説明してる。

「戦っちゃう次点で負けてる」みたいな価値観?

でもね、力の女性も、ライオンを「自分とは別の個体」で「飼いならさないといけない」って思ってる。
自分は美しい姿をしているけど、ライオンはそれとはまったく似ていない獣だと考えてる。
でもさ、本当はライオンは実は彼女自身なんだよ。


十牛図っていうのは悟りに至る過程をあらわした絵でね、簡単に言うと、牛を捕まえて飼いならして、みたいな過程が10枚の絵でかいてある。
ざっくり10枚の絵の流れを説明すると、
ある人が牛を見失っちゃったところからスタートする。
その人はがんばって牛を探して、その痕跡を見つけて、ロープなんかでひっぱってやっと捕まえて、飼いならして自分の家につれてくんだ。
この「牛」っていうのは「真の自己」を表すっていわれてるから、ここまでの意味はすっきりしてるよね。


でもここまではまだ前半でしかない。
十牛図の人はね、牛をおうちに連れて帰った後、牛のことも牛がいたことも忘れちゃうんだ


しかもね、その牛を忘れちゃった後の次の絵、何があると思う?


実はね、
何にもない絵が次に来る


ちょっと怖い小説で見たからかもしれないけど

最初は「本当の答え」「ほんとうの自分」を外の世界に探し求めて、
そしてどこかで「答え」らしきものを見つける。
でも、それは結局自分の中に初めから会ったものだと気が付き
そしてそのうち、「見つけた」こと「探していた」ことそのものも忘れる
力の女性は、まだ、「自分を飼いならさないといけない」と思っているから、
「自分という自分ではない敵」みたいなものを想定しているといえなくはない。
ところが、隠者になると、すべての価値は等価で、自分の中のすべてのもの、すべての答えは
ただただ、見つめる、観照する対象になるんだ


力の女性とライオンにわかれていたものは、すべて1つのもので、
ライオンの口を閉じて飼いならさなくても、
すべてを見つめて、受け入れて、ただ眺めれば、そんなライオンはそもそもいなかったことを隠者は知ってるんだよ。
まあ、僕の感覚では隠者のカードは牛を忘れる段階で止まってる。
これを、「西洋人には禅は理解しきれないんだ」なんて安直な批判に走ることもできるけど
僕はタロットカードではこのカードがまだ真ん中なことを評価したい。
タロットも、十牛図も、牛を忘れてから新たな世界が展開していくんだよ
13-1 隠者ってどんなカード?
13-1−1 カードの説明
ランタンを持った老人が、佇んでいます。
マルセイユ版では、老人はランタンを見つめていましたが、ウェイト版では、老人の視線は足元に注がれ、そして、ランタンも、先ではなく、彼の足元を照らしています。力のページで、アーサー・ウェイトが、「力」と「正義」の順番を入れ替えたことに触れましたが、「力」の次に、この下を向いた「隠者」が来ることによって、彼がその目に何を写そうとしているのか、窺い知ることができます。
「戦車」で向き合わなかった獣に、「力」では正面から向き合いました。「戦車」の獣は二項対立の形で描かれていましたが、その二項対立は「力」では脱構築され、自らの中の「恐れ」という形で一匹の獣になりました。しかし、獣を見つめているうちに、さらに、気がついてしまったのです。
「この獣は、どこから来たのか。言うまでもなく、『わたし』の中だ」というその真実に。
「力」では、女性と獣は独立していました。飼い主である「理性」が「本能」という獣と向き合うことによって、「本能」を手なづけることができることを表していました。さて、ではその「理性」と「本能」はどこから来るのでしょうか。「理性」と「本能」はどちらも、同じ一人の人間の中に宿っているものです。「本能」と「理性」が向き合い、観照を続けるうちに、そもそも、「理性」と「本能」という区別すら必要なくなってしまった。さらに脱構築が進んだ状態がこの隠者の姿なのです。
よく漫画などで、自分の頭の中で良心の天使と本能の悪魔が戦う描写がなされます。しかし、それは言うまでもなく、すべて「独り言」なのです。つまりは、自分自身を見つめて、語りかけることによって、理性も本能も超克することができる、その手前にいるのがこの隠者ということなのです。「戦車」「力」「隠者」と、書かれているモチーフが、3、2、1と減少してきています。バラバラになっていた自我を統一するためには、まず、一つとしての自我を認識することが必要であると、隠者のカードは告げています。
13-1-2 正位置での解釈
正位置では隠者の持つ「観照」「内省」というキーワードをポジティブに解釈します。
飼っていた一匹のスナネズミが大好きだったわたしは、スナネズミをモチーフにタロットカードを作りましたが、隠者の姿のスナネズミを描いた時に、レオ・レオニの「フレデリック」を思い出しました。「フレデリック」は「物語の誕生」神話のネズミ版で、同じく「物語の誕生」神話である中島敦の「狐憑」が悲しい結末を迎えるのに対して、餌を溜め込む代わりに、「物語」を溜め込んだフレデリックに対して、ネズミたちは「君ってすごいんだね!」と称賛します。フレデリックは、きょうだいネズミたちと共同生活を営んでいますが、餌では決して埋めることができない「内面の飢え」に対して、自己の内面に「物語」を溜め込むことによって、その飢えに対して内発的な答えを見出した、隠者的なネズミではないかと思います。
さて、隠者はなぜ、彼の足元を見つめているのでしょうか。隠者のカードをもう一度見直してみましょう。ウェイト版と、マルセイユ版の隠者のカードの一番大きな違いは、視線です。マルセイユ板の隠者は前を見ていました。したがって、彼のランタンは、彼の行く先を照らすためのものです。しかし、ウェイト版ではその視点は足元に落とされました。杖を片手に、ランタンで足元を照らしながら、下を見ている彼は、何か探し物をしているように見えます。彼は一体、暗闇の中で何を探しているのでしょうか。
ウェイトは、「隠者」の前に「力」を置き直しました。これについて、彼は「わたし自身が納得している理由のために」としか説明していません。「戦車」の鎧を脱ぎ捨てた「力」はなぜ「隠者」の前に来るのか。それは、彼女が「恐れ」を「飼いならす」客体として「操縦」する欲求を捨てられていないからではないかと思います。「戦車」「力」の共通点は、「獣」を意のままに動かそうとする「操縦」欲求があることです。「力」の女性は「戦車」の男性に比べて、ずいぶんと同調的で優しいですが、それでも、彼女は明確に「獣」の飼い主であることを自覚しています。しかし、ここに来て、ついに獣は姿を消してしまいました。では、獣は何処に行ったのでしょう?
獣は生きている限り決して消えることがありません。獣は生命力そのものだからです。しかし、その獣を自分ではない悪しきものとして認識しているうちは、自分自身に対する認識は不十分です。戦車のように獣を無視するのではも、力のように飼いならすのでもなく、ただ、完全に自分の中に取り込んだ姿。それが隠者です。ひょっとしたら、ローブの下は獣の姿をしているのかもしれません。隠者が探しているもの。それは、自分のすべて、つまり、世界のすべてなのです。
13-1-3 逆位置での解釈
逆位置では、隠者の「観照」「内省」といったキーワードをネガティヴに解釈していきます。
さて、正位置の解説で、ネズミの隠者の姿に、レオ・レオニのフレデリックを思い出したことを書きましたが、逆位置の隠者で想起されるのは、Bloodboneのガスコイン神父や、ヘルシングのアンデルセン神父です。逆位置の隠者が警告するのは、彼らのような「狂信者」的な姿勢ではないかと感じています。
本来の意味での隠者とは、俗世を離れてすまう、賢者のような存在です。この隠者は、俗世間の人々からは、しばしば、「気難しい」存在として捉えられます。
百人一首の中に、「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」という喜撰法師の句がありますが、都の辰巳(東北)の宇治山に住む世(私)を、世間の人は、「世を憂じて」住んでいると評価していようだ、と彼は詠っています、
隠者自身がどう考えているかはさておき、俗世間から見たら、隠者は、他者とのつながりを「拒絶」しているように見えるのです。そしてこれが、「内省」「観照」のネガティブな側面です。
アンデルセン神父は、孤児院の子供達に、「暴力を振るって良い相手は悪魔共と異教徒共だけ」と説明しています。熱心(すぎる)彼に取って、信仰を共有できない異教徒は悪魔と同じ排除の対象なのです。
自分と向き合う姿勢、観照の時間は、真理を探し求めるためには大切なことですが、自分以外の真理を一切認めず、他者を「拒絶」するところまでエスカレートしたら、それはやりすぎです。
逆位置の隠者は、「孤独」を尊重することと、他者を「拒絶」することには大きな断絶があることを、あなたに警告してくれています。本当に正しく「孤独」になれる人は、他者の「孤独」や「立場」もまた、尊重できる人なのです。
13-2 占いで隠者が出てきたとき受け取れるメッセージ
13-2-1 一般的なメッセージ
正位置
周囲から少し距離を取り、本当の自分の気持ちに耳を傾ける時間をとりましょう。
あなたが、本当に「独り」の時間を最後に取れたのはいつですか?
「ぼっち飯」「クリぼっち」。私たちの周りには「孤独」であることを卑下する用語が、何の説明がなくても、「罵倒」の言葉として成立し、流布しています。通信技術が進歩した昨今、独りでいても、SNSなどでいつでも誰かと繋がれてしまうことができます。もはや、「孤独」は、意図的に作り出さねばならないものになってしまいました。
優れた考えや、アイデアは、「孤独」の時間が醸成します。歴史上の優れた発見も、偉人たちが独りで考え抜く時間を持ったからこそ、生まれました。(ニュートンや、アインシュタインなど、偉人たちにメモ魔が多いのも、彼らにそれだけ、独りで考え抜く時間があったことの表れです)
インターネットの検索も、蔵書をパラパラめくることも、友達と連絡をとることも今はやめて、自分の心に問いかけてみてください。独りで悩む贅沢を、今は堪能しましょう。
逆位置
自分の意見や立場に固執しすぎないようにしましょう。
日和見的に他人の顔色を見て、コロコロと意見を変えるのはよくありませんが、自分の意見を決して曲げないのも、また問題です。
あなたはこれまでいろいろなことを考え、じっくりと問題に取り組んできました。しかし、あなたの真剣さは、他者を拒絶する免罪符にはなりません。
じっくり一人で考えることと、他者の意見を受け入れる余地を残すことは、背反しません。あなたの意見と同じように、他の人の意見も大切にしましょう。そして、あまり、関係を拒絶しすぎないようにしましょう。
13-2-2 恋愛でのメッセージ
正位置
静かに慣れる場所で、あなたの心にだけ、答えを訪ねてみてください。
今や、私たちは情報に押しつぶされそうになっています。恋愛のことでもそれは同じ。悩むことがあれば、その悩みのキーワードを検索窓に打ち込むだけで、世界中のメディアの中から解決方法を引きずり出すことができます。
また、LINEやその他SNSサービスを使うことで、24時間、いつでも、どこでも、友達と相談できるようになりました。
世界中の人たちとつながっているにもかかわらず、私たちはたった一人の「私」とつながる時間を失ってしまっています。
当たり前ですが、あなたのことを一番よく知っているのはあなたです。
今は、友達との連絡や、ネットや本の情報、相手への連絡や問い詰めをストップして、「あなた」との対話に集中しましょう。
間違えても、「自分との対話」をキーワードにネット検索なんてしないように。「うまく」やらなくてもいいのです。本当に独りに慣れる時間を取ってみましょう。
逆位置
心を閉ざしすぎないようにしましょう。
悲しいことがあったり、自分が尊重させていないように感じた時に、自分を守るために、他の人から距離を置くことは決して悪いことではありません。ですが、次のステップに進むために、あなたの方から歩み寄らなければいけないこともあります。
あなたを大切にすることと、他者を敵とみなして拒絶することは全く異なります。
あなたの思いをあなたの中だけに閉じ込めないで、相手の人や、友達とも分かち合いましょう。
もうあなたは十分に悩み、苦しみました。今はドアを開けて、一人で悩む時間に終止符を打ちましょう。
13-2-3 仕事でのメッセージ
正位置
ノイズを遮断し、自分の思いに集中してください。
今や、ありとあらゆる方法で、いろいろな人の意見が聞けるようになりました。しかし、その結果、一番かけがえのない「あなた」の言葉に耳を傾ける時間はどんどん減少してしまっています。
難しいかもしれませんが、どこか、独りで落ち着けるところに行って、連絡やネットもしばらくストップして、自分の思いに問いかけることに集中しましょう。
具体的な行動や、リサーチはそれからで十分です。何者にも影響されないあなた自身の声をしっかりと受け止めましょう。
逆位置
固定観念に囚われていないか注意しましょう。
これまで生きてきた中で、あなたはいろいろなことを考え、そして、いろいろなことを蓄えてきました。その蓄えてきた知識や経験がこれまで何度もあなたを助けてきたことでしょう。しかし、過去の体験が必ず今目の前にあることに適応できるとは限りません。また、あなたに経験や知識があるように、他の人にもあなたと異なる経験や知識があります。
あなたの体験と違うからといって、否定から入ったりしないで、柔軟に他者の意見も受け入れていきましょう。
柔軟な姿勢が、今のあなたには新たな局面を切り開くことになりそうです。
前のお話
次のお話
13-2 占いで隠者が出てきたときに受け取れるメッセージ